都留文科大学学報(第145号)
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本学には1991年10月に着任しました。その前は、福岡市の西南学院大学に5年半いました。着任が、出産と同時期になり、産休とともにスタートしましたが、このことは文大という大学の暖かさを早々に知りえた機会でした。当時学長の白尾恒吉先生や教務厚生部長の松本四郎先生、また所属の英文学科に寛容に対応して頂きました。1993年から新設された比較文化学科に移りましたが、これも西南で国際文化学科にいましたので、私にとって自然な流れでした。片道2時間の通勤時間と夫婦二人での子育て、そして新しい職場ということで、赴任当初から子どもが小学校の中学年にあがる頃までは無我夢中だったように思います。その時期も、また大病を患った時も、比較の先生方にはずい分と助けて頂きました。改めて、大学や同僚に恵まれていたことに感謝いたします。私の専門はアメリカ史、アメリカ研究、ジェンダー研究です。西南に初めて就職した1980年代後半、教授会はほぼダーク色一色で、女性教員はわずかでした。私は修士論文でアメリカの女性参政権運動と社会党との関係を研究しましたが、当時はまだジェンダーについて本格的に研究するとも決めてはいませんでした。博士課程修了論文でも1920年代、30年代における黒人ラディカルとハーレムの労働運動がテーマでした。しかし、この教授会の様子を見て、私自身が大学という職場で研究と教育を両立させていくにはジェンダーも扱っていく必要があると強く自覚したのを覚えています。本学に着任した時の教授会も同じような光景でしたが、幸い、その前後から女性教員の数が着実に増えていきました。ジェンダー研究者も一程数集まり、2005年にカリキュラムにジェンダー研究プログラを立ち上げることができました。今から15年ほど前のことですが、当時は非常に緊張を伴う取り組みでした。1990年代、「女の子は四大なんか行かなくていい。早く辞めて帰って来なさい」と家族に言われ悩む本学の女子学生は決して少なくはありませんでした。幸い文大の学生はよい意味で固定観念に捉われていないため、このプログラム開始時から多くが受講していたことは嬉しい限りでした。ここ十数年間、私のゼミでもジェンダーのテーマで卒論を書く男子学生も増え、プログラム修了書も得ているようです。目下、東京五輪・パラリンピック大会について、日本のジェンダー平等が、国内外から監視されています。2017年からの#Me Too運動や2019年からの#Ku Too運動が広がり、映画界や企業界も見える形で変わりつつあります。ジェンダーギャップ指数が153カ国中121位の日本の遅々とした動きが国際的に監視され、日本のスポーツ界のみならず社会全体の古い体質の変革が要請されています。この流れが本学でも一層可視化されることを願います。奇しくも比較文化学科創立10周年と20周年時に学科長でしたが、その記念集刊行の際、またカリキュラム改定の度に、現代世界の諸課題に向けて学際的かつ領域横断的に文化/社会研究を目指す学科のあり方を常に議論してきました。授業を準備する中で文化研究のダイナミズムを再確認することにもなりました。この学科に所属したことは、大変ではありましたが、幸運なことでもありました。教員冥利に尽きる本学の真摯な学生にも救われました。来年度から新たなメンバーが加わり学科がさらに発展することを、学科創設時からの教員として強く思うばかりです。そして文大のさらなる発展を心より願っております。ありがとうございました。比較文化学科教授 大 辻 千恵子退職にあたって 本学での日々を思いおこしてさよなら「文大」第16回「バークシャー女性史会議」(2014年)の大会ポスター3年毎に開かれるこの大会では、大いに触発されました。42021年3月10日(水)

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