都留文科大学学報(第145号)
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 本学に赴任したのは1985年4月。あれから36年が過ぎた。当時私はまだ29歳。大学院の博士課程を出て、いきなり初等教育学科の専任教員(国語教室所属)として採用された。研究業績が少なく、非常勤講師の経験もなかったが、「将来の可能性がある」という理由で選ばれたようである。 1年目は大変だった。当時の初等教育学科は学生数も多く、いきなり15人の卒論ゼミ生を抱えることになった。当然、講義も初体験。一回目の授業は緊張のあまり早口になって、予定していた内容がたった15分で終わってしまった。3年生のゼミでは、私の大学院時代のテキスト(Palmer,R.E. Hermeneutics)をいきなり原文で読ませるなど、失敗の連続。学生が多いため教育実習の派遣指導も大変で、最初の年は1週間かけて四国の実習校を7校訪問した。愛媛県宇和島市から香川県高松市まで、まるでお遍路さんのような出張であった。 先輩教員で、芥川龍之介の研究で知られる関口安義先生は、研究室が隣ということもあって、私によく声をかけてくださった。「昨日は何枚書きましたか?」が毎日の挨拶である。関口先生は大変に研究熱心な先生で、寸暇を惜しんで論文の執筆に没頭されていた。本学は、教員の研究時間を十分に確保してくれる勤務条件(授業は基本的に週5コマ)となっている。関口先生の激励(圧力?)と恵まれた勤務条件のもとで、自分の研究を深めることができた。この36年間に出版した単著は17冊、論文は400編を超える。 また、本学の研究支援体制の一つである学外研究の制度を利用して、博士論文も提出することができた。『〈解釈〉と〈分析〉の統合をめざす文学教育―新しい解釈学理論を手がかりに―』(2010年、学文社)は私のライフワークとなった。今では入手困難であるが、早稲田大学のリポジトリで検索すれば、誰でも読むことができる。 こうした業績が評価されたのか、日本最大の国語教育学会である全国大学国語教育学会の理事長も務めることができた。この職は従来、旧高等師範系の筑波大学、広島大学のいずれかの大学から理事長が選出されてきた。教員・院生が多く、学会事務局体制が作りやすいことがその大きな理由である。そんな中で都留文科大学から理事長が選出されたことは異例中の異例であった(私の就任に合わせて学会事務局も業者委託となった)。 学生のことについても触れておきたい。本学の魅力は、昔から学生の質が高いということである。それも偏差値には表れないような人間的な資質・能力である。接していて楽しく気持ちがよい。これは何にも代えがたい良き伝統である。私が36年間に指導したゼミ生の数は300人を超える。卒業生が教育界はもとより、多方面で活躍してくれることは大きな喜びである。 最後に、36年間お世話になった都留文科大学に深く感謝するとともに今後のさらなる発展を祈念したいと思う。退職にあたって ―都留文科大学の良き伝統―学校教育学科教授 鶴 田 清 司ゼミ1期生15人とともにさよなら「文大」22021年3月10日(水)

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