ブックタイトル富士道を歩く会 2012~2014の旅録

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富士道を歩く会 2012~2014の旅録

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富士道を歩く会 2012~2014の旅録

歩く会を振り返る――歩き終えての座談会――私たちと一緒に歩いてくださった郷土研究会の方々にとって、富士道歩きはどのようなものだったのか。先頭に立って案内してくださった内藤恭義さん(83)、武井一郎さん(88)、河野迪治さん(81)にお集まりいただき、歩き終えての反省や率直な感想をうかがいました。こぼれ話とともに地域を探訪する別の切り口も見えてきた、座談会でのひとこまをご紹介します。武井一郎さん内藤恭義さん河野迪治さんといいます。骸を埋葬する場所が各村々にあった我などで命を落としたとき、その亡馬や牛たち。彼らが寿命や病気や怪かつては農耕のために飼われていたに決めてね。るから、家畜のお墓だからそれ専門河野明治の頃からずっと続いていのことだからね。るけど、やるべきだったなと。各村内藤まあ、目印がないってのもあ園のようになってる。それが今、全部ならしちゃって、公けど、そこが昔、馬捨て場だった。最後、橋の袂にテニス場があるんだニー施設)の通りをずっと行くと、河野アピオ(田野倉にあるセレモ内藤一つもやらなかったでしょ。だよね。河野さん(以下、河野)昔のお墓があるんだよね。一番気になったのは、「馬捨て場」としたな、というのが出てきてね。内藤さん(以下、内藤)あれを落ている人、飼っていない人はどれく武井さん(以下、武井)馬を飼っわっていたようです。景には、現代の道の変遷が大きく関ける小さな石碑が集められていく背と語っていました。時折道端で見かて、道を拡げるさいに移したものだ群はもともと田原神社の脇にあっは、陸上競技場の近くにある石造物歩いたさい、案内人の新田松子さんまとめられる。第9回で田原周辺をなどの拡幅工事によって移動され、合のよい場所に建てる。それが国道埋葬し、供養のための石碑は各自都亡骸はある程度同じ場所にまとめてなってね。るときに邪魔になるから一箇所に置くでしょ。そうすると、道を拡げ頭観音とかみんな自分の家や近くにけないから、まとめて一箇所に。馬河野国道なんかも広げるときに置ろがありますけど……。場に馬頭観音が多く建っているとこ編集部大学の近くだと、陸上競技Field・Noteブックレット148