ブックタイトル富士道を歩く会 2012~2014の旅録

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富士道を歩く会 2012~2014の旅録

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富士道を歩く会 2012~2014の旅録

45富士道を歩く会その昔、富士山を信仰する人々が「御山」を目指して歩いた道―現在の大月市にある甲州街道との追分から、富士吉田市にある冨士浅間神社へ至るこの道を、私たちは時間をかけてじっくり歩いています。一緒に歩いてくださる都留市郷土研究会の方々は、土地のことを熟知した案内役、いわば富士道の「先達」です。おおむね現在の国道139号に沿って進みますが、ときにはルートをはずれて寄り道をすることもあります。第3回(2012年7月29日)の小形山散策もそうでした。富士道を歩くという観点では進捗していませんが、私はこの回がとても印象に残っています。富士急行線田野倉駅前を出発してやって来たのは冨春寺というお寺。桂川にかかる舟場橋を渡り、やや急な坂を上ったところに本堂があります。ここでは本堂が建てられている「向き」(方角)が話題になりました。冨春寺は集落の一番端、桂川を背にした崖の淵に建てられています。つまりこれは、富士道方面に背を向けていることにも等しく、私たち一行はお寺の裏から坂を上ってきたことになります。内藤さんは、このお寺の「向き」が、より古い時代の道を推定する手掛かりになるとおっしゃいました。さらに、道は高いところから低い富士道の「先達」に学ぶ牛丸景太(都留文科大学国文学科2年)ところへ変遷していく傾向があるのだとも。要するに、私たちが歩いてきた道は比較的後代のもので、それよりも昔の道はもっと山側のところに通っていた可能性が高く、冨春寺の「向き」はこの古道に対応していたのではないか、と考えられているのです。これを裏付けるのが、境内から山側に少し歩いた場所にある「萬霊等(塔)」という石碑です。この種の石碑は私も各所で見たことがありましたが、じつは寺院の入口に建てられることが多いらしく、近くに古道が走っていたことを物語る一つの資料として見ることができるのだそうです。お寺の「向き」や路傍の石碑から、古道の存在を考える。まさに点と点をつなぐ作業だと感じました。長年郷土史と向き合って来られた方々と私たち学生とでは知識の量はもちろん、同じものを見るにしても見方や目の付けどころには違いがあるようです。この先、経験豊かな「先達」たちから学べることは、どんなにか多いことでしょう。史跡に関連する一つひとつの事象を拾うだけに留まらず、それらを統括してどう見ればよいのか。そういった視点も少しずつ学んでいければと思っています。富士講行者の足跡をたどり、地域の歴史や民俗を訪ねる旅は、まだ始まったばかりです。