ブックタイトルフィールド・ノート no.84 Mar.2015

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フィールド・ノート no.84 Mar.2015

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フィールド・ノート no.84 Mar.2015

9域に根づいているからだろう。15年ほど前に細野に越してきた家が「屋号がほしい」と自分たちで屋号を決めたが、地域に馴染まなかったのか、その屋号を呼ぶ人はあまりいないそう。お二人も「なんていうんだっけ、ちょっと忘れちゃったね」とおっしゃっていた。なんでも新しいもののほうが必要とされ、古いものは淘汰され消えていくのだと思い込んでいたけれど、決してそうとは限らないことに気づかされる。新しいものだって使う人がいなければ、すぐになくなってしまうことだってある。逆に言えば、古いものでもそれを必要としていたちゃんちゃんこを着ていたことから、「ちゃんこのおばさんの家」と呼ばれ、そのうち家自体が「ちゃんこ」と呼ばれるようになったとか。そんな簡単に決まってしまうものなのか。わたしが驚くと、「おかしいよねえ」と弘子さんは笑いながらおっしゃった。残念ながら「ちゃんこ」の家はもうなくなってしまったそうだ。屋号というものは堅苦しくて難しいものだと思っていたけど、話を聞いてみるとなんだか家自体についたあだ名みたいだ。消えること変わること細野の屋号については、陽さんのほうが詳しく知っているそう。陽さんは生まれたときからずっと、細野にお住まいだ。屋号がいつごろから呼ばれだしたのかをお聞きすると、「それこそほんとうに昔、江戸、大正、明治とかだね」という答えが返ってきた。いつのまにか誰かが呼びだしたものが自然に広まって定着することがほとんどなので、明確にいつと言えるものではない。ただ、古い屋号が今も呼ばれているのは、それだけ地り、どこかいいところを見出している人がいれば、消えることもないのだ。消えてしまうことや変わってしまうことを、今までわたしはどこか悪いこととしてとらえていた。それは当時の様子をじっさいに見ることができなくなってしまうのが寂しいからだ。だけど変化したことにも、消えてしまうことにも必ず経緯や理由がある。わたしは屋号のお話についてそう気づいたけれど、屋号以外の慣習にも、それは言えることだと思う。どんなに昔から使っていたものでも、いずれ使えなくなるときは来る。そうなると、使わないものを溜め込んでおくことはできない。名残惜しくても思い切って捨てることになる。文化も似ているのかもしれない。文化はその時代、その場所に暮らす人々に応じて姿かたちを変えていく。使う人、必要とする人がいなくなれば、消えてしまうこともある。でもそれが自然なことなのだと思った。これからは変わったことを寂しいとばかり思わずに、そこまでの経緯に目を向け、変わることを受けとめたい。細野川は「上河原」などの屋号が決まる基準になった9