ブックタイトルフィールド・ノート no.84 Mar.2015

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フィールド・ノート no.84 Mar.2015

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概要

フィールド・ノート no.84 Mar.2015

消えてしまうわけは大家さんが描いてくださった、屋号をもつ家の場所を示した細野の地図。緑色の線は細野川、赤色が道を表している。地図は約60年前のものを参考にされたそうかの屋号に対するとっつきづらいイメージがいてしまうような屋号があった。わたしのなできず「それは本当に日本語なのか?」と驚決まっていて、ときには漢字から読みが想像を聞いていると、案外簡単なことから屋号がメージが思い浮かぶ。しかし大家さんのお話いで、襲名して……と厳粛で小難しそうなイうか、屋号というと、その家々が代々受け継うものに触れる機会がなかった。だからだろわたしには今までの生活のなかで屋号といいう。地区では、家同士を屋号で呼び合っているとお二人がお住まいの都留市大野の細野というの小お俣また陽あきらさん(83)と弘ひ子ろこさん(83)ご夫婦。お話をうかがったのはアパートの大家さん舟田早帆(社会学科2年)=文・写真わたしのなかにあった屋号の認識だった。あるその家の呼び名というのが、それまでのかがよくわからない。苗字とはまた別になかったので、具体的にどういったものなた。けれど、屋号を呼び合うという習慣がだ。屋号という言葉を聞いたことはあっいるアパートの大家さんとお話したとき屋号に興味をもったのは、わたしが住んで呼ばれた屋号だ。その家のおばさんが年中なかでも面白かったのが、「ちゃんこ」と呼ばれている家など。社の前に家があったことから「お宮の前」と「上うえ河っか原ーら」、川下のほうの家を「下した河っか原ーら」。神川の側にあった家で川上に建っていたほうをたから「当作」と呼ばれるようになった家。たとえば、当とう作さく山という山の前に家があっとが多いそうだ。なにがあったかが屋号が決まる基準になるこのどのあたりに家が建っていたか、家の側にが)来てるんだよね」とのこと。集落のなか道だとか山だとか、そういうものから(屋号弘子さんによると「大体は水たまりだとかなかった」とおっしゃる。きたときは誰のこと言ってるのか全然わからいでこられた。屋号について、「最初お嫁に弘子さんは、細野にある陽さんのお家に嫁呼んでいるうちにてみることにした。もっと詳しく大家さんから屋号について聞い少し変わったような気がした。興味をひかれ、no.84 Mar. 2015 8