ブックタイトルフィールド・ノート no.84 Mar.2015

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フィールド・ノート no.84 Mar.2015

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フィールド・ノート no.84 Mar.2015

37毎日白いごはんが食べられる生活とは違って、戦争中は家の周りに生えている草を食べることさえあったという。今では考えられないくらい食糧が不足していたのだ。だから自分の家に実のなる木を植えて、子どもにおやつとして食べさせていた。当時はグミやユスラウメという実のなる木が都留の庭でよく見られたけれど、今はそれらの木が都留で減ってきているという。食糧不足が改善されるにつれて、わざわざ実のなる木を植える必要がなくなったからではないかと遠藤先生はおっしゃる。たしかに今はお店に行けばお菓子が売られていて、低価格で手に入る。また実のなる木は、庭にある以上剪せんてい定をしてやらなければならない。植えたままほったらかしにしておくと、木が枯れたり腐ったりして実がとれなくなる。そうやって、当時多く見られていたグミなどの木は減ってしまったという。キウイブーム1月31日、今度はキウイブームについて、小俣さんご夫妻にお話をうかがった。キウイが流行し始めたのは平成に入ってから。そんなに昔の話ではないと陽さんはおっしゃる。ブームになった理由と思われるのは、当時卵のような楕円形で表面に茶色の短い毛が生えているキウイの実の見た目が目新しかったことだという。私もキウイの実の見た目に惹かれる。あの産毛のようなものをつい触りたくなってしまうのだ。陽さんは、大冨祢荘だけではなくご自宅のお庭でも、実のなる木を育てているという。大家さんたちは実のなる木の種を手に入れてから育てるまでの話を、事細かに話してくださった。どうしてそれらの木を植えたのかをうかがうと、土地が余っていて困っていたからと陽さん。余った土地を利用したかったという。最初は何かを作って売り物にしようと思っていたのだとか。今は大冨祢荘に下宿している学生にただで分けることもあるそうだ。また、都留の土地は果物作りには向いていないらしく、育てるのが大変だともおっしゃっていた。実のなる庭木を植えた理由をたずねることから始まって、戦争中の生活や都留の土地についてなど、さまざまなお話を聞くことができた。それは実のなる木が、庭という人の暮らしに近いところで、その家の人と一緒に暮らしてきたからだと思う。実のなる木は、その木を植えた人や育てた人、実を食べた人たちと思い出を作っていく、その家の庭に住む家族のような存在だと思った。大冨祢荘のキウイ。ブドウのように棚を使って育てる