ブックタイトルフィールド・ノート no.84 Mar.2015

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フィールド・ノート no.84 Mar.2015

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概要

フィールド・ノート no.84 Mar.2015

1月31日、私は尾県郷土資料館を訪れた。少し茶色がかかった赤色の屋根、白壁、そして明るい水色のバルコニー。ぱっと目を引くその外観はまるで物語の世界に迷い込んだかのようだ。建物の昔と今この資料館は一階と二階に展示室があって、小学校の校舎だったころの教室のようすや昔の教科書、地域の写真などが展示されている。ここは今、おもにこの地域の昔の暮らしや慣習について知ることができる場になっているのだ。お茶とお菓子で出迎えてくださったのは館長をされている山やまもと本恒つねお男さん(79)。山本さんに建物のことをうかがうと、藤ふじむら村式という、日本人の建築家が洋風の建物をまねて造った建築方式のものなのだという。小学生だったころ山本さんもここに通われていたそうで、身振り手振りをまじえ、笑いながら当時の思い出をたくさん聞かせてくださった。今の建物にはもうないが、二階から霧よけ(一階と二階のあいだにある小さく突き出した屋根のような部分)に出てそこからグラウンドに飛び降りたり、夏休み中には桂川で泳いだりしていたという。今聞くとびっくりしてしまうような話ばかりだった。「授業と言うよりのんきな学校だったよ」という言葉がとても印象に残っている。山本さんのお話を聞いていて、きっと机の前にずっと座っているような学校ではなかったのだろうなと想像できた。この建物のまわりは自然が豊かだ。そのなかに建っていたことが、子どもたちがのびのび過ごせる学校になった理由のひとつなのかもしれない。廃校になってから資料館になるまでのあいだも地域の人が自然と集まる、いわばたまり場のような場所になっていたのだそう。今では地域の人以外にも、近くの山に登ってきた人がふらっと寄っていくこともある。そんな人たちに山本さんは「お茶でも飲んでくかい」と声を掛ける。山本さんは私に一通の手紙を見せてくださった。それは東京から訪れたというかたからの手紙。そこには、資料館のことを説明した山本さんへの感謝の言葉が書かれていた。山本さんは声を弾ませてその人のこと、その人とどんなお話をしたのかを教えてくださった。資料館を訪れた人のことをちゃんと覚えているのだ。そうやって出会いを大切にしているからこそ新しくできた繋がりは続いているのだなと思い、私まで笑顔になった。山本さんがこれからも私のことを覚えていてくれたらいいな、そう心のなかで考えている自分がいた。最後に、山本さんがこの建物で好きなところはどんなところかお聞きすると、間を空けずに「それはもう大勢の人と話ができることだよ」と答えてくださった。小学生が見学に来たり、訪れた人との新しい交流が生まれたり、そういうことが結構楽しみと、子どもたちからの寄せ書きを見せてくれながらおっ二階へ上がる階段。降りるのが怖くなる高さと角度だバルコニーに吊るしてある太鼓。資料館になる前は、これをたたいて時を知らせていたそう