ブックタイトルフィールド・ノート no.84 Mar.2015

ページ
12/48

このページは フィールド・ノート no.84 Mar.2015 の電子ブックに掲載されている12ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

フィールド・ノート no.84 Mar.2015

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

フィールド・ノート no.84 Mar.2015

「ストレス解消」「言いたいこと言える」「そのぐらいしか余暇がない」と次々に出てくるみなさんの率直な思い。お話を聞くなかでも、同級会の延長、といった言葉にはっとした。私の年代にも同級会はある。はてその集まりに名前があるだろうかと考えたとき、何となくみんなが勝手に呼ぶ名前はあるものの、ぼんやりとしていて決まったものがないことに気がついた。これまでの取材からも、無尽は名前があるものと勝手に決め込んでいた。しかし、何かの集まりを作るとき、名前をつけないのはそんなに特別なことではないのかもしれない。この所属する集まりに名前をつけないという感覚は、私にも共通してあるものだと思ったからだ。今まで取材をしてきたかたたちも、同級会のような、ということはおっしゃっていた。ただただその言葉を聞き流していたのだ。けれど、これは重要なキーワードなのかもしれない。今までお話をうかがったなかで一番自分に近い年代の無尽だから、こういった共通する感覚があるのではないだろうか。息づく文化とこれから今まで無尽に関わるさまざまなお話を聞くなかで、無尽文化はどうも自分のもっている感覚と距離があり、私より上の世代の人たちがおこなっている文化だと感じてしまっていた。しかし、無尽の感覚は自分にも流れているものかもしれない。文化は変化する。ときには名前を変え、主となる活動内容を変え、息づいている。途中で姿を消すかもしれないし、ずっとずっと続くかもしれない。私はお話を聞くなかで、無尽とは何なのか、一言で表せるものが見つかるのではと期待していたが、そもそもそういったものはないのではないかと考えるようになった。無尽文化は、年代ごとに多種多様な姿を見せる。その年代ごとの定義をもつ無尽を見つけることはできるかもしれないけれど、年代を越えこれ00と言い切れるぶれない一本の軸はないと思う。今思うのは、無尽は私よりも年長のかたがたで終わる文化ではないのではということだ。私は名前がない理由になるほどと思った。私にも共通するこの感覚は、まだ無尽と呼べるものの主となる要素ではないかもしれないが、その一端に自分も触れていると知ることができた。自分のなかにも無尽に繋がる感覚があるかもしれない、無尽文化を共有できるかもしれないというのが嬉しかった。その年代ごとの無尽はある。しかし、それは変化していくものだ。名前が変わるかもしれない。おこなうことも変わるかもしれない。無尽は、上の世代で変わり切るものではなく、私の代に伝わったとしても変化の余地が十分にあるものなのだろう。無尽とは何だった000のか?ではなく無尽とは何なのか?を、私はこれからも探していくことになるようだ。12no.84 Mar. 2015