ブックタイトルフィールド・ノート no.83 Dec.2014

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フィールド・ノート no.83 Dec.2014

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フィールド・ノート no.83 Dec.2014

no.83 Dec. 2014 34郡内で作られた織物に「織おりいろぐんない色郡内」という種類の織物があった。その織物は海外から輸入された「海かいき気」という織物に似ており、「郡内海気」と呼ばれるようになる。その後、全国にもっと「郡内海気」を広めたいという思いから、甲斐の国で作られた絹織物の意味を込めて「甲斐絹」という表記に変わった。そもそも郡内地方では土地がら農業が難しく、その代わりとして織物が盛んにおこなわれていた。郡内地方のなかでも都留市はいち早く甲斐絹が根付き、発展していく。しかし、戦後を境とした需要の減少や機械産業への移行により、徐々に織物を生産する人々は減ってしまった。そうしたこともあり、今では都留市で甲斐絹を作っている人はおらず、織物を作っている人も市内に数人しか残っていないという。かつて織物産業が盛んだったと聞いていたが、今ではそれほどまでに織物を作っている人が減ってしまったのかと驚いた。これだけ急激に数が減ってしまったのならば、織物産業が完全に都留市から姿を消してしまうのも時間の問題かもしれない。消えてしまう前に、都留市の織物について詳しく知りたい。そう思い、東桂で織物作りをしているという天あまの野昭しょういち一さんを訪ねた。技術を取り入れた人天野さんは、洋傘生地の生産や販売をおこなう商店を経営している。私が甲斐絹についてお話を聞きたいと思っていることを伝えると、今は作っていないよ、と天野さん。天野商店ではふだん、甲斐絹の種類のひとつである解ほぐし甲がいき斐絹を作るときの手法(以下「ほぐし」)を取り入れて洋傘生地を作っている。甲斐絹自体は依頼があれば作ることがある程度だそうで、ふだんは作っていない。洋傘生地を作る仕事は先代から受け継いだもので、天野さんが生地作りに「ほぐし」を取り入れ始めたのは10年ほど前のこと。「ほぐし」を取り入れたきっかけを尋ねると、「先代と同じ道を歩いててもしょうがないってことですよ」とおっしゃった。何か新しいものを取り入れたいと考えていたとき、東京に「ほぐし」の手法を取り入れている問屋があることを知る。その手法で傘を作ってみたところ、お客さんに喜ばれ、これは売れると感じたそう。そのため、取り入れるまでは甲斐絹に詳しかった訳でも、「ほぐし」を知っていた訳都留に残る織物産業廣瀬はづ紀(社会学科3年)=文・写真都留市商家資料館を訪れたとき、そこで甲斐絹を目にした。色鮮やかで、さまざまな模様が織り込まれた布や着物。いくつもの色をどのように使い分けて織っているのだろうか。昨年甲斐絹の展示をおこなったミュージアム都留の学芸員のかたなら詳しいことを知っているかもしれないと思い、後日お話をうかがってみた。