ブックタイトルフィールド・ノート no.83 Dec.2014

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フィールド・ノート no.83 Dec.2014

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フィールド・ノート no.83 Dec.2014

③左は、昭和36年(1961)撮影。葬儀で、鍛冶屋坂を行列している写真。現在よりも道幅が狭く車通りはない。昭和の初めころには、鍛冶屋坂の名前のとおり、鍛冶屋が軒を連ねていたと伝えられる。右は、平成25年(2013)12月5日撮影。④左は、昭和7年(1932)撮影。谷村町駅前から国道へ向かう道で撮影された龍石寺の稚児行列の様子。稚児行列とは、寺院・神社の祭礼・法会などのとき、天上界の人に扮した子どもが行列して歩くことをいう。道幅が今より狭く見物人で賑わっていた。右は、平成25年(2013)12月4日撮影。⑤左は、昭和61年(1986)10月撮影。都留文科大学付近の動物病院裏手の道。現在、道は舗装され田もアパートに変わっている。都留文科大学前駅ができる前、谷村町駅から写真にあるような田のあぜ道を通った人もいる。右は、平成25年(2013)12月24日撮影。⑥左は、昭和49年(1974)4月9日撮影。市制20周年ミス都留大会パレードが十日市場の国道139号線を吉田方面に進んでいる様子。現在、この国道の周辺には商業施設が立ち並ぶ。右は、平成25年(2013)12月24日撮影。23◇劇作家の寺山修司は近代の道について次のようなことを述べています。「ぼくらがふつう路地というと、両手を伸ばすとどちらかが塀に触れる幅だよね。ところが日本の近代はそういうものをどんどん無用化し封鎖してしまい、道は人間中心から車中心になって、散歩という思想を切り捨ててしまった。だから、人間が通れる道についてもういっぺん観察して、そこから人間の捉え直しをしてもいいんじゃないかと思った。」(杉山正樹著『寺山修司・遊戯の人』、2006年、河出書房、pp.22-23)。この言葉のように現代と過去の写真を比較すると、昔の写真は人々が道を自由に闊歩しているのに対し、現在の道は車ばかりが通り人気がないことに気が付きました。かつての道は人間との生活やそこから人間そのものと密接に関わっていたと思われ、今回の企画展では、そうした人々の息遣いが聞こえるような構成にしたいと考えました。(森屋)