ブックタイトルフィールド・ノート no.82 Aug.2014

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フィールド・ノート no.82 Aug.2014

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フィールド・ノート no.82 Aug.2014

41詩画が描かれた布の左下には「静江」というサインがあり、作者が遠藤先生であることがわかった。わたしが心動かされたあの詩はどうやってできたのだろう。わたしは詩を書いたことがないけれど、詩をたくさん書いてきた先生はどういう思いで詩を書き続けているのだろう。遠藤先生と詩紫蘇ジュースの詩画は、先生が今から10年以上も前に書いた作品の一つだそうだ。着物の帯の芯に使われている布に、四季折々の詩画を何十枚も描いたそう。詩を書き始めたのはいつごろですかと質問すると、先生は「あのね、これ私の宝物」と近くの棚の引き出しから茶色の包みをもってきてくださった。包みから出てきたのは年季が入ったセピア色のノートだ。二冊は国語のノートで、もう一冊は洋裁のノートだそう。わたしがふだん使う大学ノートよりもずっと面積は狭いけれど、その代わりにとても厚い。三冊全部合わせたら、小さめの辞書くらいの厚みがありそうだ。「ノートがね、一冊がこれくらいっきりないの」と言われよく見ると、3、4ページくらいしかないノートが何冊も綴じられて本のような厚さになっているのがわかる。国語のノートには先生が12歳のころから書いてきた詩が書かれているそうだ。はじめは「詩を書く」というよりも、誰にも言えないような悩みや思いを書き留めていたという。それに毎日欠かさずというわけではなく、感情が動いたときだけ書いて、書きたくないときは書かない。そういうふうにして続けてきたそうだ。「そのままずーっと続けていて。で、こういう自分の悩みから少しずつ違う方向ね。自分の身の回りのこととかね、思ってることとか、社会的なこととか。自分が立ち止ったことを詩に書いてたのね」。みんなで書くこと転機が訪れたのは昭和48年ごろ。それまではどこかに所属することはなく一人で詩を書いていたが、その年おこなわれた県の芸術祭で詩の部門に応募してみたそう。すると佳作入選が決まり、その後の芸術祭でも優秀賞や芸術祭賞と5回連続で入賞された。それまで詩を誰かに見せることはなかったが、受賞しほかの人から認められたことで自分のしてきたことはこれでよかったのだ、と自信をもつことができたそうだ。そして当時詩の会がなかった都留市に、先生は詩の会を立ち上げた。それが「都留詩友会」のはじまりだ。最初のうちは会員が集まりに出席しなかったり会費が集まらなかったりと、うまくいかないことも多かったそうだ。詩誌の発行や詩の朗読会、有名な詩人の講演会、そして詩画展と都留詩友会ではこの40年のあいださまざまな活動がおこなわれてきた。詩誌は最初すべて手書きで、印刷も手刷りでやっていたそうだ。「でも大変っていうことより張り合いがあって。自分の詩が一応こういうふうに印刷されると、もう寝ても覚めてもそれを眺めてね、喜んでたのね」と、嬉しそうな表情でおっしゃった。まるで目の前にその詩誌があるみたいだ。自分の詩、自分の言葉を自分の手で書き、刷り出して、目に見える形となったときの喜びはどんなに大きいだろう。わたしはそういった作業をすべて自分の力で成し遂げる大変さを知らない。けれど、自分の思いや言葉が印刷されたときの喜びならわかる気がした。印刷され形に残るということは、自分の