ブックタイトルフィールド・ノート no.82 Aug.2014

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フィールド・ノート no.82 Aug.2014

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フィールド・ノート no.82 Aug.2014

3131加藤萌香(初等教育学科2年)=文・写真【参考書籍】安田守『イモムシハンドブック』文一総合出版2010年ていたということ。わたしからみて、祖父母の世代のかたからは、養蚕をしていたという自身の経験を交えた親しみの声が返ってくる。しかし親の世代になると、親はやっていたけど自分たちはやっていなかったという声が多く聞かれた。子どもの世代ともなると、じっさいにカイコを見たことさえないとほとんどが言っていた。さらに「カイコ触れる?」とわたしが聞いたとき、触れると答えた子どもはいなかった。どうして養蚕は都留から消えたのか、より詳しくカイコについて知りたいと思ったわたしは小形山にある尾県郷土資料館を訪れたさいにその理由をうかがった。消えた背景と当時のようす現在は都留で養蚕はおこなわれていない。いったいいつごろから、どうしてやらなくなったのかうかがうと、昭和40年ごろを境に衰退していったということを話してくださった。そのころになると外国の経済拡張の影響で中国などからベンベルグ(※)など安価な繊維の布が輸入されてきて、日本の養蚕は利益が出なくなってきてしまったそうだ。それ以降、養蚕以外の仕事につく人々も増え、しだいにカイコを飼う家庭は減っていった。小形山周辺では、平成5年ごろを最後に養蚕をする家庭はなくなったという。かつて養蚕が盛んだった時代はたくさんのカイコを飼育していたため、多くの家庭が家の二階を使い、養蚕をおこなっていたという。理由は二階のほうが風通しがよく湿気などが少ないからだ。カイコは高温多湿に弱いため、家で一番環境のいい部屋を使っていたという。あまりにもたくさんのカイコを飼っていたものだから、世話をしているときいつの間にか体に何匹かたかっている、なんてこともふつうにあったそうだ。尾県郷土資料館のかたはそんなカイコが可愛かったとおっしゃっていた。もちろんお金をえるために養蚕をしていたからという理由もあるけれど、当時はそれほど親しみが深い生きものだったのだ。親しみが違う訳今の60歳以上のかたはじっさいに養蚕に携わっていたためカイコに対して親しみをもつかたが多かった。しかしそれ以降現代に近づくにつれ、親しみをもつかたは少なくなっていった。個人の好き嫌いを別にして、昔は養蚕をしていたことなどにより日常には生活に溶け込んでいた生きものがそばにいた。だから生きものと人との距離が近かった。けれど今はその生活がなくなってしまい、生きものと関わる機会が大きく減ってしまったように思う。子どもたちの言葉からも生きものに対する親しみが薄れていることが分かった。時代が進むにつれ、今まであった関係が必要なくなり壊れていく。それを知ったら、今ある生きものとの関係を見つめ直さなければいけないと感じた。カイコはわたしにとって昔と今の生きものとの距離を考えさせてくれるきっかけとなった。細いしなやかな繊維からつくられた人造絹糸の布地(※)親しみが違う訳消えた背景と当時のようす